もう大人である放送大学の学生と、「放送大学では授業中の私語が皆無なのに、どうして一般の大学で私語が多いのか」というような話をしていたら、「それは一般の大学生が、子どもだからではありませんか」という意見を言う人がいた。
「大人はお互いに気を遣い、相手に失礼になるようなことはしない、それに対して子どもには、どんなことをしても、自分達は子どもだから大人から許してもらえるという甘えがある」というものであった。
「なるほど」と納得した。
それにしても、世の中には、「何をしても許してもらえる」と、甘えた考えの大人(大人になれない子ども)が多いのではないか。
日本は「甘えの構造」(土居健郎)に満ちているし、弱者にも配慮する社会なので、自分は子ども、あるいは弱者と自己規定し、わがままを通し、権利を主張し、他者(大人)の心の痛みがわからない人が多いのかもしれない。
ブログを読んで下さったMさんよりコメントを頂いた。お礼を申し上げると同時に、掲載させていただく。
<「こども社会、甘えの社会」、全く同感です。私のこどもの頃は事あるごとに「甘えるな」「わがまま言うな」と叱られたものですが、最近会津若松市に行くことが多く、史跡を訪ねると「それでこではないな」と驚愕することがありました。再現された会津藩校「日新館」の入り口に「什の掟」という大きな看板があります。これは藩士のこども達に教えてものです。
【一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ。二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。三、嘘を言うてはなりませぬ。四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ。五、弱い者をいじめてはなりませぬ。六、戸外でものを食べてはなりませぬ。七、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。ならぬことはならぬものです。】
また、藩主の別荘だった「御薬園」の茶室に次のような内容の掛け軸がありました。
【「初にも敬いの心を忘れない」人の子であるからには、両親のいらっしゃる奥の間には軽い気持ちで入るべからず。座敷に座る場合にも、真ん中は尊者(長老)や年長者に譲り、子供は隅の方に座る。道を歩く時も、男女それぞれに左右の別があり、道の真ん中は尊者が通られる所なのでそこは避ける事。我が家の門であっても真ん中は尊者が出入りされる所なので、通ったり、立ち止まったりはしない。君門に至っては、尚更の事である。】>