子どものスポーツでも対話的学び

新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」に関して、最近思ったことを記録にとどめたい。「主体的」に関しては、社会学者はこれも後天的なもの思っているかもしれないが、教育学者は先天的なものと考えているように思う。同じ幼いきょうだいでも、好みや性格が違うのを見ていると、ひとり一人に個性がある(つまり主体的なのは)先天的な要素が強いように思う。それを教師も見極めて子ども個々に応じた指導をしなければならない(「個別最適化」をAIに任せることはできないであろう)。

「対話的」に関しては、教師との対話もあるが、主となるのは子ども同士の対話であろう。それは主体同士のぶつかり合いで喧嘩になることもあるかもしれないが、強いものに同調したり、その場の空気を読むことよりは、異論(主体)をぶつけ合いことの大切さを指導したい。音楽でいえば、同じ音のユニゾンより、合唱のハーモニーや、違う楽器の音が奏でる音楽の素晴らしさを伝えたい。

「深い学び」は、異質なもの共存から生まれる結果と、それを各自が自分の中に取り込むみ自己変容(成長)をはかることであろう。

これが、個人の学習だけでなく、子どもたちのスポーツの世界でもあることが、2月20日の朝日新聞記事に掲載されていた。子どもたちのサッカーチームでも、大人が指示するのではなく、子どもたちに話し合い(対話)でいろいろなことを決めさせる。結果も付いてきて、子どもたちの主体性と自立心が育つという。

<(子どもとスポーツ)やってみる、まず自分たちで サッカーのサイレントリーグ、大人は口出し禁止(ハーフタイムに話し合う碧南FCの選手たち。コーチの姿はない) パッと見は通常の子どものサッカーの試合だ。だが、しばらく見ていれば、あることを感じ取る。そう、あの小うるさく、時に威圧的な大人の声が一切ないことに。ベンチにコーチの姿はない。スポーツの場で、私たち大人は子どもの主体性を大事にしてこなかったのではないか。そんなことを考えさせられる大会を取材した。愛知県岡崎市で1月16、17日に開かれた小学4年生の大会。県内の地域クラブ10チームが参加した。名付けて、サイレントリーグ。指導者や保護者は一切、口出ししない。子どもの主体性を大事にするため、約束がある。■メンバー決定、交代、戦術、ウォーミングアップなど試合に関わる全てのことを子どもたちに委ねる ■試合の間、子どもがいるエリアに大人は入れない ■行き帰りの道中も、大人は「言いたい一言」を我慢する 各試合で登録メンバー全員が出るルール。2日間で、主催側が決めた相手と5試合ずつを戦う形式だ。さて、本当に子どもたちだけでできるのか。初参加クラブの一つ、碧南市の碧南FCに密着した。(以下略)>(朝日新聞より一部転載)