江藤淳『アメリカと私』(講談社、1969年)
近頃若い人が海外旅行や海外留学することが少なくなっていると言われる。それを補う意味でも、旅行記や海外体験記を読でみるのはいいことであろう。
今から約半世紀も前だが、『なんでも見てやろう』(1961年)という小田実の海外旅行体験記が大変話題なった時がある。若さにものを言わせての好奇心いっぱいの冒険旅行の魅力を、小田実が自分の体験から書いたもので、「何でも見てやろう」という当時の若者の向こう見ずな元気さは、今こそ見習うべきものかもしれない。その本のせいで、日本でも世界を身軽に旅行する若者が増えた。
一方、アメリカやヨーロッパではなく、インドを中心に長期の旅行をし、写真も撮り、何冊もの紀行記を書いたのが藤原新也である。そのアジアを長く旅行していた写真家の藤原新也が、アメリカを7カ月かけて車(モーターホーム)で回った紀行記『アメリカ』(1990年、情報センター出版)は、一味も二味も違った紀行記になっている。アメリカに関しては、短期の観光旅行記や長期の滞在の記録は多くあるものの、アメリカの文化や人々の生活を、7カ月という中期の長さの中で、アジア視点も入れての考察は、新鮮で衝撃を与えるものであった。
さらに、「『なんでも見てやろう』というおりた観察者の視点に無理がある」と、小田実らの旅行記を痛烈に批判したのは、評論家の江藤淳である。
江藤淳が、奥さんと一緒にアメリカのプリンストン大学に滞在した若い時(2年間、日本文学担当の講師として大学で教えている)のことを書いた紀行記『アメリカと私』(講談社、1969年)は、戦後のぬるま湯のような中で、まったりと生活していた日本人、そして日本の文壇にも衝撃を与えた。
作家の城山三郎は、次のように書いている「実に堂々と肩を並べ、一人の職業人として、そして紛れもない一人の日本人として生き、語り、働いておられる感じです」(「江藤淳への手紙」『新潮45』2016年1月号、pp157〜158)
江藤のアメリカでの生活は、旅行者としてではなく、生活者として、強者の論理が働くアメリカで、それに負けずに、日本人としての誇りをもって生き抜くことである。その苦難のエピソードが随所に書かれている。世の中で生きるということは、このような厳しい生存競争の中で生き抜くことなのであるということを、アメリカでの体験から伝わってくる。
敬愛大学の学生を見ていると、のんびりした住みやすい千葉の地に生まれ育ち、このままのんびりした生活が送れればいいと思っている節を感じる。若い時は、小田、藤原、江藤らを見習って、自分を厳しい環境に置くことも大切である。(武内)
上記に関して、水沼文平さんから早速コメントをいただいた。下記に掲載させていただく。(とても多くの紀行記、旅行記があることがわかる。私も司馬遼太郎の「アメリカ素描」は印象に残っている。)
<先生の推薦図書を拝見しました。江藤淳「アメリカと私」、藤原新也「アメリカ」は読み直したい本です。アメリカといえば司馬遼太郎の「ニューヨーク散歩」「アメリカ素描」、ジョン・スタインベックの「チャーリーとの旅」は学生に是非読んで欲しい本です。司馬遼太郎はアメリカの西海岸と東海岸、それからニューヨークの旅の記録です。司馬独特の史観と文明・文化観が散りばめられています。「チャーリーとの旅」は58才のスタインベックが愛犬と一緒に、愛車「ロシナンテ号」に乗り、1600キロ4カ月にわたってアメリカの大地を走り抜けた旅の記録です。
紀行文で私が推薦したい本を列挙します。司馬遼太郎「街道をゆく」シリーズ全編、沢木耕太郎「深夜特急1~6」「一号線を北上せよ」、村上春樹「辺境・近境」「雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行」、森まゆみ「海に沿うて歩く」「旅暮らし」、阿川弘之「南蛮阿房列車」「汽車に乗って 船に乗って」、椎名誠「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語」「インドでわしも考えた」、太宰治「津軽」、永井荷風「あめりか物語」「ふらんす物語」、池澤夏樹「ハワイイ紀行」、開高健「モンゴル大紀行」、北杜夫「マンボウ家の思い出旅行」「マンボウ家族航海記」、立松和平「旅暮らし」など。
若い人の読書離れが嘆かれ久しくなりますが、最近帰りの電車の中でこんな経験をしました。赤羽駅で二人の男子高校生が隣に座りました。小声で話し合っています。アリョーシャがどうのこうのという話が聞こえてきました。ひとりが手に持っている文庫本を見たら「カラマーゾフの兄弟」でした。私はこの小説に挑戦して何度挫折したことか。亀山某の訳本も読みましたが一冊目で断念しました。なによりも一人の人物がいくつかの名前を持っているのが煩わしい。それから登場人物が饒舌すぎる。このアリョーシャのような少年も挫折することでしょう。それにめげないで読書を続けて欲しいと思いました。二人は西川口駅で静かに降りていきました。>