高校の同級生のH氏に近況を伝えたら、「まだ現役で働いているのか?」と驚かれた。私は特任や非常勤なので、100%現役とは言えないのだが、授業を受講してくれる学生にとっては、常勤も特任も非常勤も関係ないので、力一杯やらなくてはならない。
それにしても、同世代の藤原新也は、元気で活動的だ。会員制のウエブ マガジン「CAT WALK」はじめ、出版活動や講演を活発に行っている。
最近のトークも冴えている(一部転載)(http://www.fujiwarashinya.com/talk/)
<さらに私が子供心に震え上がったのは、ある朝鮮の家庭で夕餉の団らん時、とつぜんやくざが土足で上がり込んで行って、まえもって目星をつけておいた若い女性をさらって行ったという彼の話である。ひとさらい、という言葉そのものは当時の日本でもあったが、実際にMの口からそのような話が飛び出すと、私も自分がひとさらいにさらわれるのではないかと、夜寝るときは気が気でなく、母親の布団の方ににじり寄ったものだ。
そういったひどい目にあった女性達が、従軍慰安婦として働かされたかどうかという点については私の記憶の中では彼の口からそういう話は出ていない。いやというよりそもそも従軍慰安婦という言葉を当時の一般の人々が使っていたのかどうかは調べる必要があるだろう。
しかしここで銘記しておくべきことは、かりに日本人やくざらの手によって強制的に売春宿で働かされ、その女性たちの何人かが選ばれて従軍させられたとするなら、誰の手にかかろうと結果的にはそれは強制収容された従軍慰安婦と見なすべきということである。
それが国策としてやったことかどうかということに力点が置かれているが、かりにやくざが騙すなり、拉致するなりし、その女性達が巡り巡って従軍慰安婦として働かせられていたとするなら、それは軍(国家)が容認をしていたわけだから、国策かどうかというような論議をすること自体に意味がない。というよりいずこの国に、買春行為を国策として明文化する馬鹿がいるかということである。
明文化しなかったからそれは国策ではなかった、という言い方があるとするならそれはメニューにない料理を提供するレストランでは、そのような料理は存在しないというに等しい。>