社会学に世代論がある。同じ年代に生まれた人は、同じような社会体験をして育ってきているので、同じような考えや価値観をもつというものである。
藤原新也は、1944年3月4日生まれである。知人のMさんはもう少し若いが、ほぼ同世代で、私と同じく藤原新也のファンの一人らしい。藤原氏の本を読んだ感想を書き留めているとのこと。その内容を送っていただいた。共感する部分が多い。許可を得て、転載する。
○藤原新也の「なにも願わない手を合わせる」(文春文庫)を読みました。私たちの人生の大半は、人といかに交わり、反し、和解し、愛し合うか、に費やされます。自己と他者との過不足のない折り合いを見つけることは生易しいことではありません。ましてや死んだ人とはなおさらです。著者は肉親が他界するたびに四国巡りをします。ガンを患った兄の壮絶な最期に立ち会い、あるお寺の地蔵菩薩に兄の顔が重なります。三十六番札所の青龍寺で祈る幼女の姿に「無心」の境地をみます。愛する者の死をどう受け入れるか、いかに祈るのか。(2006年10月9日)
○「しおれ、悲しみ、滅入り、不安を抱え、苦しみにさいなまれ、ゆらぎ、くじけ、うなだれ、よろめき、めげ、涙し、孤独に締めつけられ、心置き忘れ、打ちひしがれ、うろたえ、落ちこみ、夢失い、望みを断ち・・・・・・あとは生きることしか残されていないほど、ありとあらゆる人間の弱さを吐き出すがいい」。これは藤原新也の「メメント・モリ 死を想え」の一文です。普通は「死ぬしかない」ですが「生きることしか残されていない」とは、苦しみ抜いて解脱した仏陀の心境に近いものです(2008年11月6日)
○12世紀ドイツのスコラ哲学者、聖ヴィクトルの言葉です。「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」。全世界を異郷と思う者、なんと説得力のある言葉でしょう。西行も芭蕉も旅を人生の友としました。藤原新也も放浪の旅を続けています。常に異国にあり、全世界を異郷と思っているのです。私もリタイアしたら「異国の客」として、「故郷が甘美」→「あらゆる場所が故郷」→「全世界が異郷」という心の旅を辿りたいと思っています(2008年12月14日)
○藤原新也の言葉です。「人間、だれからも褒められる優等生でなくとも、あるいは名を成さなくとも、その人生に一度でも何か心に深く残るような行いや人との関わりがあれば、それでその人の人生は成就したのだと、私は人によく言う」。藤原の言葉を私流に敷衍すると「よく死ぬためには今をよく生きること」。死という誰しもが避けることができない一大事の前で、大事なのは「今」なのです。今何が大事かを取捨選択し、それに優先順位をつけ、「行い」や「関わりあい」をすること。こういうことを常に「思念」(考え思うこと)することが大事なのです。(2010年1月10日)
○朝日新聞5 月30日、「おやじのせなか」藤原新也氏から抜粋「(おやじの旅館は)あっけなく消滅した。関門トンネル開通で人の流れは変わっていた。閑古鳥が鳴き、僕が17才の時に倒産。親しかった人間が手のひらを返し、借金のカタで家財を一切合切持って行った。けど、おやじは恨み言を一切吐かなかった。逆に、その借金取りの一人が後で病気になり、お袋が『罰が当たった』とつぶやいた時、珍しく激怒してしかった」。「珍しく激怒」したこと、自分が窮地に陥っても決して人のせいにしない、これが男の品位(矜持)というものだろう。藤原さんのお父さんは若い頃は渡世人で、満州に渡り宝石で大もうけをして、門司で旅館を経営したそうです。藤原さんの骨太の思想はこのおやじさん譲りなのでしょう。(2010年6月4日)