今日は放送大学東京文京学習センターで自主ゼミがあり(テキストは、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、巡礼の年』2013年)、久しぶりに東京に行くというので、その前に、東西線の九段下から半蔵門線の半蔵門まで歩き、ひとりで、千鳥ヶ淵の桜を見た。カップルや家族連れが多く、ひとりでのお花見というのは、少しさびしい。
さすが千鳥が淵という感じ、桜とお濠とボートが絵になっていた。ただ、桜の方はもう葉桜になっていて、やはり花の旬の時や満開のピーク時のの華やかさは失われていた。その分、比較的楽に歩け、ピーク時のラッシュ並ということはなかった。以前あったクリスマスローズも健在であった。
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、巡礼の年』2013年)を、今日の自主ゼミの為,もう一度読みかえしたが、わからないことだらけで、ついWEBで、1つの解釈(、http://sonhakuhu23.hatenablog.com/)を読み、あまりに「過激な」しかし的確な解釈にびっくりし、自分の読みをうまくまとめられず、皆の感想を聞いて終わった。日本の古典の悪霊がはたらいているという感想もあり(それだけ村上春樹に古典の教養があるということ)、感心した。
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