直接教えを受けた先生(恩師)ではないが、その著作を読み感銘を受け、師と崇める人がいる。私にとって、社会学者の作田啓一はそのような人のひとりである。
氏の著作『価値の社会学』(岩波書店、1972年)を何度読んだことであろう。1冊目はボロボロになり、2冊目、3冊目も購入した。ゼミのテキストでも使ったことがある。私のようなものでも影響を受けたのだから、作田啓一が、日本の社会学や教育社会学研究に与えた影響は、とても大きかったのではないかと思う。
作田啓一は、永く京都大学の教養学部の社会学の教授だったので、関西では直接教えを受けた人が多かったと思うが(京大出身の井上俊、柴野昌山、竹内洋らもそうだと思う)、関東にいる私は本でしか知らず、いつか京都に行った時、作田啓一らしき人を京大近くでバスからみて感激した。上智大学での社会学会の大会が開催された際は、部会の発表は聞かず、司会の座に座っている作田啓一ばかりを見ていた覚えがある。
作田啓一は、社会学の理論家として卓越していただけでなく、文学にも造詣が深く(漱石やドフトエフスキ―に関する本も書いている)、その文章は緻密で味わいが深い。私は院生の頃、朝一番で、氏の文章を読む習慣があった。すると頭がすっきりとし、その日の勉強がすすむ。このような文章が書けないものかといつも思っていた。仏文学者の多田道太郎との親交も厚く、多くの文学や文化的な共同研究があり、学問とはこのように楽しいものかということを教えられた。
「師として仰ぐ」ということは、遠くから尊敬をして憧れているということである。畏れ多くて、その人と話そうと思ったことはない。
その作田啓一が、亡くなったという記事を今日の新聞で読んだ。ご冥福をお祈りする。
<作田啓一さん死去 社会学者「恥の文化再考」(朝日新聞、2016/03/18)
社会意識論や大衆社会論で知られる社会学者で、京都大名誉教授の作田啓一(さくた・けいいち)さんが15日、肺炎のため、京都市内の病院で死去した。94歳だった。 山口市生まれ。京大文学部卒。1959年に京大助教授となり、66~85年に教授。デュルケムやパーソンズらの研究をもとに理論社会学や文化社会学の研究を進めた。哲学や文学の領域から日本文化、大衆意識への考察も進めた。哲学や文学の領域から日本文化、大衆意識への考察も進め、現代日本の社会学に影響を与えた。京大退職後は甲南女子大教授を務めた。主な著作は「恥の文化再考」「価値の社会学」など。
大学院時代の後輩のKさんより、下記のメールをいただいた。人それぞれ「師」と仰ぐ人がいるものだと思った。
<先日、岡崎さんの送別会であまりお話もできず残念でした。武内さんのブログを読んでいますが、武内さんが作田先生の著作を高く評価しているのを知りました。私はもちろん作田先生とは面識がありませんが、非常に洞察力の鋭い人だという印象を持っております。おそらく、武内さんもそこに感動しているのではないかと推察しております。ただ私は、昔作田先生の著作を読んだときに、自分にはこうした洞察力はないとあきらめました。したがって、あまり作田先生の著作から研究のヒントのようなものを得た記憶がありません。大学に就職する前後に法社会学の川島先生の著作を読み、これは勉強になったという実感があります。それにしても、教育社会学ではそうした著作がないのが残念ですね。>