毎日が日曜日で、退屈している老人からみると、月曜日の出勤の憂鬱さや長い夏休みの終わりを悲しむなんて、なんという贅沢と思うのではないか。私は中途半端な位置にいるので、両方の気持ちがわかる。
小中高生の頃、月曜日は憂鬱だったし、オーシンツクツクが鳴くと夏休みの終わりと焦った覚えがある。しかし、月曜日や長い休みの後の登校や出勤は、まだ人との距離やペースがうまく取れないで最初戸惑うが、そのうち慣れてきて、スムーズに行き出した時の快感も忘れられない。
律儀なサラリーマンだった人は退職しても、律儀な生活を送っている人が多い。私の所属している卓球愛好会の高齢者たちは、律儀に会社に通うように毎日卓球の練習に通っている。
このような、生活のリズムや喜怒哀楽について、今日(18日)の天声人語はよく書いている。子どもたちを憂鬱(自殺)から防ぐことも大切だ。
<お盆休みが明けて、きのうから仕事に戻った方もあろう。月曜の通勤は、誰もどこか浮かないふうだ。そのうえ各地で雨だった。〈傘の柄を握れば傘が連れてゆく眠りたりない駅までの路〉秋場葉子。スイッチが入らず、握った傘に引かれるように歩く物憂さも、月曜の朝はひとしおだ▼夜明けを待たずとも、日曜の夜に「月曜の朝」が忍び寄ってくるメランコリーは勤め人の一人として分かる。そんな大人の憂鬱(ゆううつ)よりずっと深刻に、夏休みが終わるのを思い悩む子らがいることを、先日の本紙記事で知った▼夏休みをはじめ長期休暇明けの前後は、自ら命を絶つ子が増えることが内閣府の調査でわかった。過去42年間にわたって18歳以下のケースを調べた結果だという▼原因をみると、小中学生では「家族からのしつけ・叱責(しっせき)」「学校の友人との不和」が目立った。高校生になると学業や進路の悩みが増えるそうだ。思いつめる若い心が痛々しい▼お盆を過ぎれば夏休みは駆け足で過ぎる。周囲は異変やSOSに敏感になったほうがいいときかもしれない。問いただすのではなく、打ち明けやすいように寄り添ってほしいと専門家はアドバイスをする▼〈「つらい時は泣けよ」って/力強くいって下さい/無理やりいいとこさがして/ほめて下さい/「あした宇治金時食べよう」/とか/ちょっと先の/未来の話をして下さい〉と、小林育子さんの詩「ピンチの時のお願い」はいう。ふわりと包む言葉とまなざしが、こんな時は必要だ。(天声人語、8月18、夏休み明けの闇)