社会学(教育社会学も)にとって、事実にもとづいて議論することは基本中の基本である。さらに、隠れている事実を暴露することに多くのエネルギーを注ぐ。事実を隠蔽することなど論外である。
ただ逆に事実を知ることで、失われることはないのであろうか。事実の隠ぺいや忘却で得るものはないのであろうか。
これは、カズオ・イシグロの『忘れられた巨人』(早川文庫、2017)を読んでの、多くの人が抱く感想であろう。
「恨みや憎しみをも忘却して平和に生きるのか、記憶を取り戻し、またまた争いごとのなかで生きるのか、どちらが良いのだろう?」
「皆の記憶を奪うことで守られるものもある」
『その霧によって平和が保たれていたのは確かだ。霧がかかっていなければもしかしたら終わっていた愛も、霧の中で新たに育まれた。さあ霧が晴れた時にどう生きるか。』
以下、ネットで見た、カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』の感想を転載。
「アーサー王伝説がベースになったファンタジー。皆の記憶を奪うことで守られるものもある」
「事実が忘却されることで、世界は融和に向かうものの、人がそれを望まないので、修羅の巷が蘇ることになるという構成は、非常にユニークだなと思いました。 世の中が平和であることに至上の価値をおくのであれば、知らないことを良しとするのも、またひとつの道なんでしょうが、無知を許容することって難しい。 面白い本でした。」
「雌竜によって、記憶が失われていく世界。それに抗おうとする人々。そして、老夫婦の夫婦愛。恨みや憎しみをも忘却して平和に生きるのか、記憶を取り戻し、またまた争いごとのなかで生きるのか、どちらが良いのだろう?」
「戦争や民族対立などの忘れてはならない出来事が忘れられつつあるいまを、ファンタジー形式で描写している。一方で物語の中心は夫婦愛。どんな過去があっても、夫婦の絆が変わらないものであるか、試される場面が随所に出てくる。」
「この作品の終着点が、ここなのか!という驚き。単純に考えれば記憶を忘れさせられるなんて理不尽だ。だけど、その霧によって平和が保たれていたのは確かだ。霧がかかっていなければもしかしたら終わっていた愛も、霧の中で新たに育まれた。さあ霧が晴れた時にどう生きるか。」
「記憶がテーマのファンタジー小説。 民族間の戦争や死、夫婦の愛など、幸福も不幸もないまぜになった記憶を、忘却から取り戻すことは果たして正義なのか、という命題を与えてくれる。 世界観は幻想的であるが、本質はリアルなところにあり、日本が抱える近隣諸国との歴史解釈問題などにも通ずると感じた。」