「世代とは,「個々人のもつ同時代性という状態」に対する一つの表示である。つまり,ある程度まで同時に成長する,共通した幼年時代をもち,時としてその時期が雄々しい力の現われでもあるような共通の青年時代とかをもつようなものを,われわれは,かかる世代として特徴づける」とい世代に対するディルタイ(Dilthey,W)の定義を、河野員博は紹介している(「教育における世代論」『教育社会学研究』第34集 1979)
私の世代は、人数の多い団塊の世代の前で、人数もそれほど多くなく、また戦中に生まれたとはいえ,幼くて戦争に対する体験はなく、戦後の貧しさの中で、戦後民主主義を学びながら育った世代である。人数の多い団塊の世代の蔭に隠れ、目立つこともなく、世代としての独自性を主張することもなかったのではないか。
最近亡くなった樹木希林に対して、「同じ釜の飯を食った」同世代意識を表明した藤原新也の文章を読み、この世代と団塊の世代の違いに、思いを馳せた。
藤原新也「諦観のやすらぎの中で逝く」(www.fujiwarashinya.com/talk/ 9月19日より一部転載。)
「同じ釜の飯を食った者が逝ったとの思いがしなくもない。樹木希林は1943年1月生まれ。船長より1歳年上だがほぼ同年代と見て良いだろう。戦火の中で親が情交して生まれた40年代の前半に生まれた世代はいたって数が少ない。
戦争が終わった45年の平和時に種付けられ、46年以降に生まれたいわゆる団塊の世代は44年以前の世代に較べると圧倒的に数が多い。
樹木と私の世代はちょっと不埒(ふらち)なところがあり、頑固で群れることが嫌いと、それ以降の世代とはわずか数年の差だが大変異なる。
そういう意味で彼女は極めて戦時生まれ的性格を所有しているということだろう。
同じ釜の飯を食ったとはそういうことだ。(中略)
そして今回、樹木希林が逝き、その後の彼女が残した死への諦観とも受け取れる言葉の数々を知って思うことは実はこの「メメント・モリ」は私の本の読者でもあった樹木希林が娘婿の本木君に伝えたのではないかということである。その本木君はこの本を起点に素晴らしい仕事をし、樹木希林は自からの死を賭してある意味でメメント・モリを越えたとも言える。
見事な死だったと、そう思わざるを得ない。合掌」(藤原新也)