一生に一度のこと

ある人と話していて、「自分の時の卒業式は学生運動のために中止になった」という話をしたら、「中止になってどのような気持ちでしたとか」と聞かれびっくりした。その質問のニアンスは、一生に一度の卒業式なのにそれが中止になって、さぞがっかりしたことでしょう、というものであった。
「一生に一度」という言葉は、時々聞く。一生に一度の「成人式(の晴れ着)」「卒業式」「結婚式」など。
「一生に一度」という言葉が自分はピンとこない。卒業式にしろ、成人式にしろ結婚式にしろ、その人にとっては一生に一度の貴重な行事かもしれないが、他の多くの人にとっては日常のありふれた出来事であり、自分の思い(都合)を他の人に押し付けるのはどうかと思う。
また、そのような行事を貴重な思い出として生きるということは、現在や未来に向かわずに、過去の思い出を大切に生きるということであり、あまり前向きでない。

ただ、通過儀礼(rite of passage)(=出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼。人生儀礼、イニシエーション)の意義を否定するつもりはない。

それよりも「一期一会」ということは大切にしたいと思う。一期一会とは、「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に(したい)」(*)という思いである。
日常のどのような出会いも出来事も、一生に一度しか起こらないかけがえのないものである。そのように現在のことを大切にしたい。

* 一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来する日本のことわざ・四字熟語。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味する。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう」という含意で用いられ、さらに、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉。一生に一度だけの機会そのものを指す語としても用いられる。(https://ja.wikipedia.org/wiki/一期一会)