トルストイの「アンナ・カレニナ」について

私が最初に読んだ外国の長編小説はトルストイの「アンナ・カレーニナ」だったと思う。当時外国の世界名作全集は高校時代に読むのが同級生の間で普通であったと思うが、国語は苦手であまり読書の習慣のない私は、それを読んだのは大学2年生の時だったと思う。当然ヒロインのアンナの気持ちに寄り添ってその小説を読んだのだが、その小説の解説に、アンナの恋愛(不倫)で辛い思いをするアンナの夫の気持ちからこの小説を読むと味わい深いという記述があり、不思議に思ったことを、今でも鮮明に覚えている。

今日(12月26日)朝日新聞で、ロシヤ文学者の沼野恭子氏の高校時代に読んだ「アンナ・カレニナ」の、アンナ以外の人に惹かれ読んだという読後感に触れ、同じような読み方をしている人がいるのだと感心した。

私はその後、トルストイの「戦争と平和」やドストエフスキーの「罪と罰」、ツルゲーネフ、チェーホフの小説を読み、ロシア文学に惹かれたが、途中ドストエフスキー「カラマゾフの兄弟」で挫折し、その後ロシア文学の読書が進まなかった。社会学者の作田啓一の本を読むと、「カラマゾフの兄弟」の話がよく出てくるし、後輩の故渡部真氏の優れた教育・文学論にも「カラマゾフの兄弟」がよく出てきて、元の本を読んでいない私は今一理解できないことがあり、悔しい思いをすることがよくあった。

このような体験は他の分野でもあり(数学、英語、歴史など)、若い頃の欠落を今から埋めようとするが、歳の為(?)、あまり進まない。