デジタルの時代に思う

渡部昇一「知的生活の方法」(講談社現代新書,1976年)を読んだ時の衝撃は忘れられない。知的生活を送る為に、誰からも邪魔されない集中の時間が必要であり、その為には手元の参照する本を置いて置くことは必須であると書かれていた。優れた研究者や作家は皆立派な蔵書や書庫を持っているという。

そのような考えが、この頃少し揺らいできた。今はネットで何でも調べられる時代である。論文の引用は本からすべきと言われていたが、今はネットからの引用も許されるのでないか。写真もプリントアウトする必要はなく、デジタルで保存した方が見やすい。映画やドラマも、これまでは優れたものがDVD化され、それをレンタルして見るのが普通であったが、最近のドラマや映画はDVD化は考えず、(いつでのどこでも見れる)ネット配信だけのものもあるという(ネットフリクス等)。

同じように、本もデジタルで読む時代で、それを印刷した本として残す必要はなくなるのではないか。研究者が書く論文もデジタルで読むことができれば、それを印刷媒体に落とす必要がない。現に、学会の発表要旨も活字の冊子ではなく、デジタルで配布(配信)されるところが増えている。また大学のシラバスや紀要もネットで読むようになっているところが多い。

研究者は、自分の研究の成果を、生きた証として後世に残すために本を出版したい、一般の人も自分史を本にして後世に残したいと考える人は多いが、それは今のデジタルの時代に的確な方法なのか考える必要があるかもしれない。

追記―上記のように書きながら、旧世代の者には本のない生活は考えられない。本(棚)に囲まれた部屋にいると落ち着く。本の題を見ただけで、その書籍に書かれていたことが思い浮かび、読んだ当時の心情が蘇る。どんなに意匠を凝らした建築や部屋でも本(棚)がおかれていないと貧相に見える。どんな素晴らし自然や景色も、本(棚)に囲まれた部屋を超えることはできない(と私は思う)。このように、全く違う考えが、私の中で行き来する。