オートエスノグラフィー(autoethnography)について

オートエスノグラフィ―という方法で書かれた論文が今、社会学、人類学、教育学等の分野でよく見られるという。学問の新しい分野に疎くなっている私には、少し驚きの新鮮な情報である。Bing Chatは簡潔に下記のように説明する。

<オートエスノグラフィー(autoethnography)は、著者が自己省察および著述を通じて、自身の個人的経験を調査し、その自伝的なストーリーをより広い文化的、政治的、社会的な意味・理解へと結びつけるための質的研究の一形態です。具体的には、研究者が自身の経験を詳細に記述し、それを文化的な文脈で分析します。これにより、個人的な物語が社会全体の理解に貢献することを目指します。例えば、研究者が自身の文化や社会の一員としての経験を記述し、それを通じてその文化や社会の特性や問題点を明らかにすることができます。オートエスノグラフィーは、コミュニケーション研究、教育、社会学、人類学など、さまざまな学術領域で用いられています。この方法は、研究者自身の視点を重視し、主観的な経験を通じて新たな洞察を得ることができる点が特徴です。>

 他の文献では、下記のような説明がなされている。

<個人的なことを書けば、そのままAEになるというわけではない。自分のことを書いた文章をAEたらしめる必須要件として、多くの概説書が挙げている相互に関連する3つの要素がある。それは、〔A〕auto(自己性、主観性、個人的な体験)、〔B〕ethno(集団や文化の信念、慣行、アイデンティティ)、〔C〕graphy(記述、解釈、表現)である[e.g. Adams & Herrmann 2020:2]。すなわち、〔A〕を用いて、〔B〕を〔C〕することで、AEは日記や自叙伝(autobiography)や自己語り(self-narrative)と区別される表現行為となるのである。いずれの要素が欠けても、一般的に、AEとはみなされない(北村 毅「オートエスノグラフィで拓く感情と歴史 序」(『文化人類学』87/2 2022.9)

<喚起的AEにおいては,ある出来事の学術的文脈よりも,生活上・実践上の文脈の中での位置づけが重視される。それは,喚起的AEが,いわば「自己物語を介した対話的・共感的なコミュニケーション」の実践を目指しているからである。つまり,日常的な経験から自己物語を著述することによって,読者がテクストと対話したり,共感するようなコミュニケーションに参加したりすることを促しているのである>(土本哲平・サトウタツヤ「オートエスノグラフィーの方法論とその類型化)(対人援助学研究2022,Vol. 12 )>

実際、オートエスノグラフィーで書かれて論文には、興味深いものが多い。その方法を教えてくれた人の論文を含め、下記のような論文を読んで、その方法の特質を学んでいる。

1 浜島幸司「キャンパスライフと学生の成長—コロナ禍で問われる大学の姿勢」『高等教育研究24集』 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaher/24/0/24_49/_pdf/-char/ja 

2 高橋 勅徳「増大するあなたの価値, 無力化される私 婚活パーティーにおけるフィールドワークを通じて」(日本情報経営学会誌 2020   Vol. 40, No. 1・https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsim/40/1-2/40_201/_pdf/-char/ja)

3高橋 勅徳「新興市場でのオートエスノグラフィー:婚活市場において商品化される私」https://tokyo-metro-u.repo.nii.ac.jp/records/9333(東京都立大学)

私自身は、民族誌学的な研究、京都学派の文化社会学的研究、新しい教育社会学、内田樹の知性論 (http://blog.tatsuru.com)、村上春樹のノンフィクションの方法なども、この方法との共通点があると感じている。学びを続けたい。