齢をとってくると本当に月日の経つのが早い。毎月1日にきちんと送られてくる辻秀幸氏の「風の便り」の3月1日号(65号)を受け取り、もう1か月が過ぎたのかとびっくりする。この1か月にしたことと言えば、敬愛大学の後期の授業(教育社会学)の採点、伊豆に2泊3日の旅行(湯河原の梅林と河津桜のお花見)、卓球とテニスの練習くらいしか思い浮かばない。
上智大学名誉教授の加藤幸次先生(1937年生まれ)が、『学校DXと「個に応じた学習」の展開』(黎明書房、2024.1)というお書きになり送って下さった。加藤先生の「個に応じた指導」と「個に応じた学習」論の集大成のような内容で、しかも学校DXが提起される中で、学校でどのような授業をしていけばいいのかが理論と実践の両面から詳細に論じられており、先生の熱い思いが伝わってくる。173頁の大著である。その先生の齢を感じさせない研究心を少しは見習わなければと思う。
辻氏の「風の便り」は、八千代市の水神様と弁天様の話で、素朴な信仰心を感じる内容であるが、最近の世の末のような風潮の中で、人々の宗教的なものへの帰依(逃避)も増すのではないかという危惧も感じる。少し飛躍するが、中森明菜の音楽に「憑依力」(ひょういりょく)があり、そこには「酒とタバコとセックスの香りにうっすらと包まれている」音楽。それは「純粋な美しさを追求した『水に挿した花』のような楽曲につながっていく」という音楽評論家の言葉を紹介する朝日新聞の記事(3月2日朝刊)にも感じる。(スージー鈴木『中森明菜の音楽 1982-1991』)
<憑依(ひょうい)とは、一般には霊や精霊などが他の生物や物体に乗り移ることを指します。これは、その生物や物体を支配するために行われることがあります。憑依が行われると、乗り移った存在が対象を制御し、行動することが可能になります。憑依力(ひょういりょく)は、霊や精霊が乗り移る力や能力のことを指します。この力は、憑依される対象の精神や身体を操作するために使用されます。英語では、「憑依」を表す言葉として “possession” が使われます。例えば、「spiritual possession(霊的憑依)」や「demonic possession(悪霊憑依)」などがあります。(ChatGPTによる説明)