評論家の加藤典洋は、その著書『村上春樹は、むずかしい』(岩波新書2015)の中で、「高度情報化社会の到来などといわれるようになったあたりから、私たちの生の経験は『頭』と『心』と『からだ』がばらばらに世界とつながるようになった」(202頁)と指摘し、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』以降の作品に、そのような人物を登場させているという。
普通、人の「頭」と「心」と「からだ」は一体のものである。だからこそ人は相手を信頼し一貫した行動を期待できるが、それがばらばらだとしたら、人の何を信用すればいいのであろうか。
また殺人を犯した「からだ」と「心」や「頭」が別物だとしたら、その犯罪をどう裁けばいいのであろうか。(今でも心神喪失状態で犯した罪は罰せらられない)
「頭」と「心」と「からだ」がばらばらだというのは荒唐無稽と、決めつけられないのが現代である。
他界から異界へ、隠喩から換喩へと、村上の世界は移っており、それに共感する我々読者がいる。