私は文学に疎く、言葉にもあまり鋭敏な方ではないが、自分では使わない言葉を人が的確使っているのを見たり読んだりすると感心し、自分もその言葉を使えるようにならないものかと思う。今回、友人から送られてきたメールに、次のような文章があった。
<最近の「旅番組」をテレビで観ていると、泊まる宿も行き当たりばったりで決める楽しさを強調しているようにも思えます。そのような「逍遥の旅」や「逍遥歌人」は私の理想ですが、凡人の私は、細やかな「逍遥」を楽しみながら、私なりの人生を歩いていこうと思っています。>(一部抜粋)
その中で使われている「逍遥」(しょうよう)という言葉は、「坪内逍遥」という昔の小説家の名前は知っていたが、その「逍遥」の意味もよく知らず、ましてや自分で使ったことはない。そこでネットで少し調べてみた。ネットに次のように書いてあった。
<「逍遥」は、 気ままにぶらぶらと歩きまわることを意味する熟語です。 明確な目的がなく、気分転換のために散歩することを表します。明治から昭和にかけて活躍した小説家・ 坪内逍遥のペンネームのもとになっています。 坪内逍遥は、『小説神髄』や戯曲『桐一葉』などで有名です。「逍遥自在」は、世間から離れ、自由気ままに楽しむことを意味する四字熟語です。「自在」は、「心のままであること」を表します。>。
また、和英辞典で調べると「逍遥」は、ramble、saunter、walkという言葉が当てられている。(森を逍遥するーramble in the woods)
写真家、旅行家の藤原新也に、逍遥を本の題にしたものがあったように思い調べたら、『逍遙游記』(藤原新也著、1990年)があった。その解説は次のよう。<「インド、そしてチベットへの高揚した旅から一転、著者は醒めた日常の日々を台湾、韓国、香港に遊ぶ。ふらり行きついた町の安宿や市場に、鬼才・藤原新也がとらえた心象世界。『インド放浪』『チベット放浪』とならぶ青年期のモニュメント」>
逍遥自在、つまり「世間から離れ、自由気ままに楽しむこと」というのが、老後の過ごし方の極意ではないかと思った。ただ、凡人はなかなかその境地に至れない。