最新の第164回芥川賞を受賞した宇佐美りん「推し,燃ゆ」を読んだ。 不器用で何事にもうまくいかない(家庭に問題があり、高校にも適応できず退学する)少女がアイドルへの「推し」で、自分の肉体や心の痛みを浄化する物語である。
(アイドルへの)「推し」というのは、「片思い」の一つのバリエーションかもしれないと思った。多田道太郎が言うように「それはオリジナルの向こうに、オリジナルを超えて自分だけの夢をみることである。自分だけの夢、自分だけの『オリジナル』を夢みることである」(『管理社会の影』₍日本ブリタニカ、1979年)。もし,ほんとうのオリジナルである「推し」の彼が目の前に現われ「付き合おう」と言われれば、彼女は「それは違う」と言うであろう。(以下、宇佐美りん「推し,燃ゆ」より一部転載)
「見返り求めているわけではないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけではない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからでなんだろう。あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンション上がるけど。携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない。一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを賭けてのめり込むとき、一方的であるけれどもあたしはいつになく満ち足りている」(『文藝春秋』 2021.3月号、376 頁)
その文章は、「確かな文学体験に裏打ちされた文章」(山田詠美)、「リズム感の良い文章」(松浦寿輝)、「文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能」(平野啓一郎)、「レディメードの文章の型を踏み外してゆくスタイル」(島田雅彦)と、芥川賞選考委員から絶賛されるもので、読んでいてそのリズム感が心地よい。 「寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言ってもいいほど新味がなく」という平野啓一郎の批判もあるが、芥川賞としては久々のこの賞にふさわしい、今後に期待される新人が選ばれたと思う。