ペットはいつまでも可愛く、また飼い主を裏切らないが、子どもは大きくなれば親に反抗するし、親を裏切らないまでもいつまでもやっかいをかけ、老後の面倒もみてくれないかもしれない。それならば、子どもを産むよりはペットを飼った方がいいと考える人も、少なからずいるであろう。
話題になっている藤田孝典『下流老人』(朝日新書、2015)を読んでみた。その中に「子ども一人あたりの教育費」は、大学まで出すと、すべて国公立の場合1015万円、すべて私立(大学は理系)の場合2466万円で、子どもを持たなければ(「出産しないという’合理的選択‘をとれば)その分だけ自分の老後の資金に回せ、「下流老人」になるリスクが少なくなる、というようなことが書かれていた(43ページ)。
もちろん子どもを持つことは自分の老後の為ではないが、子どもがいるといつまでも手がかかり、さらに自分達の老後の面倒もみてくれそうもないとすると、夫婦は子どもを持たない方が、さらに結婚せず独身でいる方が、今の下流老人化社会においては「賢い」選択ではないかとも思った。
水沼文平さんより、上記の文章にコメントをいただいた。その一部を転載させていただく。
先生のブログ《下流老人化社会の「賢い」選択》を拝見しました。
親と子の問題のことを考えるたび、安部譲二の「子供は三歳までに一生分の親孝行をする」という言葉で後悔の念を薄めてきました。「子を持って知る親の恩」という諺がありますが「親孝行、したいときに親はなし」も身につまされる諺です。子どもとは「親不孝な者」「何も期待してはいけない者」「ひたすら親に要求してくる者」と思ってしまえば、子どもたちの身勝手も納得がいくというものです。
結婚しても子どもを作らないどころか未婚の男女が増えています。理由として女子に圧倒された“草食男子”の増加、‟Y染色体“の劣化などが上げられますが、自然界でのメスを巡るオス同士の熾烈な戦いの映像などを見るにつけ、氷河期到来の予測と重ね、人類は衰亡に向かっているのではないかという懸念を覚えます。
「下流老人」は読んでいませんが、多くの貧困老人を産む社会は、戦後日本人歩んできた「物・金」至上の価値観がもたらした結末だと思います。この価値観をベースに賢く生きるか、他の生き方を求めるかは私たち老人の大きな課題です。老人にとってお金は生きていくために必要なものですが、私はお金では買えない目に見えない豊かなものを心の中にたくさん持って生きていきたいと思っています。
大谷映芳著「森とほほ笑みの国 ブータン」(集英社文庫)を読みました。著者がいう「世界一幸せな国、ブータン」とだけは言えない面もあるようですが、自らの「ブータン国」の確立を老後の目標としたいと思っています。(水沼文平)