学生の勉学態度は、昔に比べ真面目になっているように感じる。しかし、授業中の私語がなくなっているわけではない。私語をしている学生を観察すると、それは、最初特定の学生であることに気付く。ただその一部の私語を放置すると、段々それは教室中に広がっていく。それでも私語を迷惑と感じる学生は少なくない。
最初に私語する学生は、授業を静かに聞く態度が全く身についていないように思われる。体は隣の席の学生に向き、教科書や配布されたプリントも見ようとしない。隣と(あるいは前後と)話していないでは1分といられない。このような授業態度は大学入学以前に身につき、習慣となっている。したがって少し注意したところで簡単に直らない。ただ、怖い教師の時はおとなしくするという処世術は身につけている。そして怖い教師の時おとなしくしていた分だけ、次の時間にやさしい教師の授業などがあると、その反動で話し続ける。
学生消費者主義という考え方がある。授業料を払っている学生のニーズに答えた授業を展開するのが大学教員の務めである(特に私学)。大学の費用が主に授業の為に支払われていると考えれば、私学で1回90分の授業に、一人当たりだいたい3000円くらいのお金が支払っていると思うので、こちらもそのくらいの内容は話したいと思う。
しかし、授業中に私語があると、それが気になり、集中力は落ち、話が散漫になる。授業の途中で、切り上げて終わりにしたくなる(実際そのようにした場合もある)。
でも、教師が散漫な話をしたり、授業を途中で切り上がる行為は、高額の授業料を払い、授業を真面目に聞きに来ている学生消費者の要求に答えていないことも確かである。
これまで、私の中に、授業中に蔓延する私語は、教室にいる学生の連帯責任のように感じていたように思う。しかしどうもこの認識の改めなくてはいけないようだ。授業料を払って授業を真面目に聞こうとしようとするものを妨害する権利は、同級生と言えどもない。授業を静かに聞く権利を保障するのも教師の役割であろう。
ただ、高い授業料を払い、授業に出て来ても私語をして授業を聞いていない納税者(消費者)に対して、我々は、「叱責」以外どのようなサービスを提供すればいいのだろうか?