ビル・ゲイツの発言に関連してー英才教育と生成AIのこと

2025年2月4日の朝日新聞朝刊に掲載されていた米マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の「テック 過去と未来―AIが世界を加速、我々が賢明なら、マイナスを最小限に」には、示唆的なことがたくさん書かれていた。そのうちから、氏が「自閉症スペクトラム」と今なら診断されていたろうということと、AIが科学分野に多くの恩恵をもたらすだろうという箇所を、抜き出しておく。

 ――自身の子どもの頃を振り返り、「今なら自閉症スペクトラムと診断されただろう」と告白しました。ー 「私の社会的スキルは、平均的な子どもより発達が遅かったと思います。一方で、誰よりも多くのSFの本を読むなど、物事に没頭できる能力がありました。大人と話をして知識を引き出し、説明してもらう力にはたけていた。そうした中で数学やソフトウェアに触れる多くの機会があり、ソフトウェアの重要性に気づくことができました」 「私の行動は奇妙で、大人たちは私の能力の濃淡に少し困惑していました。」 「私を取り巻く環境がうまく行ったという事実が、他の子どもと少し違う能力を持つ子どもの親を勇気づけるものになればと考えています」

 ――あなたはMSが出資するオープンAIの幹部たちと頻繁に話をしているようですね。AIの進化の速度、恩恵とリスクを、どうみていますか。 ー「新薬の開発や科学分野では大きな恩恵があるでしょう。生物学はとても複雑で、AIなしでは不可能だったような洞察が可能になります。教育面では、自分の学力に合った『家庭教師』を持てるようになる。特に貧しい国では医師や教師が不足しています。医療分野では、我々の財団でもAIを新薬発見に活用しており、分析のスピードを著しく加速させています」 「AIはまだ初期段階ですが、大きな転機となったのが、(オープンAIが一昨年公開した生成AIの基盤モデル)『GPT4』でした。AIが、ここまでうまく人間とやりとりできるようになるとは思わなかった。もちろん、正確性という面ではまだ多くの問題がありますが、進化は続くでしょう」

発達障害とみなされるような性格のビル・ゲイツがマイクロソフトを開発するという偉業をなしたということから、大切な示唆が得られる。つまり障がい者の発達支援を、一般の子どもからの遅れの回復とみるだけでなく、一般児より優れている、先進的な部分があり、それを伸ばすギフテッドの教育(英才教育)の研究や実践がもっとなされるべきだということである。私も以前に、内外教育のひとこと(2024年11月19日)にギフテッドの教育(英才教育)について書いたことがある(添付参照)

生成AIが科学や学問分野に大きな恩恵を与える可能性に関しては、私も教育研究の分野に関して、具体的な例で示し、(『現代の教育課題を読み解く』(中央教育研究所 研究報告 NO103 2025,第17章)https://chu-ken.jp/pdf/kanko1) 、               その一部を、2月14日発刊の「内外教育」で紹介した。

2月の内房、水仙の花

2月の初旬に今の季節は、日本海側大雪(太平洋側でも南の方は雪)、太平洋側の関東は晴れの日が続いている。私の住んでいる稲毛(千葉市)でも雪や雨は降らず晴れや曇りの日が続いている。昼間日が照るとあたたかく朝晩は寒い。夜の冷え込みがあるので、春の花は、球根あるいは小さな苗の状態で、春の到来を心待ちにしている。

今の季節、南房総はあたたかく、もう菜の花スットクやキンギョソウ、そして河津桜(頼朝桜)も咲いているかもしれないと、晴れた日(2月5日)の朝に思い立ち車で稲毛から高速の館山道に乗り内房総を南下した。途中、天羽の別荘地から東京湾を眺め(やはりいい眺め、富士山が雲に隠れ一部しか見えないのは残念だったが)、その近くの漁業組合の運営する「ばんや」に立ち寄り、「鯛のあら煮定食」を食べる。なかなか美味しく、そこで時間を費やし、午後2時を過ぎる。

そこからまだかなり距離のある南房総のお花畑を諦め(房総は、伊豆と比べかなり大きい)、近くの「佐久間ダム」に行くことにした。佐久間ダムは、たくさんの頼朝桜(河津桜)で有名なところだが、2月上旬で頼朝桜はまだ蕾状態で、その代り梅の花がきれいで、水仙も真っ盛りで、その香りも含め結構楽しめた。帰りは途中の「道の駅」で、スットクやキンギョソウ、水仙の花を買い、帰路についた。近所にも房総の花をおすそ分けして喜ばれた。

KODAK Digital Still Camera
KODAK Digital Still Camera

風の便り 76号

毎月1日に送られてくる辻秀幸氏の2月号(NO76)は、蝶と蛾の話と写真で、辻氏の本来のものに戻ったようだ。辻氏が住んでいる八千代市でも近ごろは蝶を見ることが少なくなったということだが、私の住んでいる千葉市でも同様のことを感じる。うちの庭のレモンの木にはアゲハ蝶が卵を産み、それが幼虫になる姿を昨年は目撃している。いま菜の花の苗が育っているのでこれからモンシロチョウが来るかどうか楽しみ。辻氏の説明を補強する意味で、例によって(?)、生成AIに蝶と蛾の違いについて聞いてみた(以下その回答を転載)

質問―チョウとガの違いを教えて下さい。Bingチャットの回答―チョウとガは昆虫の一種であり、どちらも鱗翅目(りんしもく)に属していますが、いくつかの特徴で区別することができます。羽の位置:チョウ: 翅を垂直に閉じて休むことが多いです。ガ: 翅を水平に広げたり、屋根型にして休むことが多いです。触角:チョウ: 棒のような触角の先端に小さな球状の膨らみがあります。ガ: 触角は羽毛のような形状や、くしのように細かく分かれた形状をしています。活動時間:チョウ: 日中に活動することが多いです。ガ: 夜行性で、夜間に活動することが多いです。体の形状:チョウ: 体が細長く、華奢な形状をしています。ガ: 体がずんぐりとしており、厚みがあります。これらの特徴を踏まえて、チョウとガを見分けることができます。ただし、一部の種ではこれらの特徴が当てはまらない場合もありますので、総合的に判断することが大切です。

自分から攻撃はしないが、やられたらやり返す―生成AIに聞く

質問ー「やり返す」や「反撃する」ことは、いいことかどうか、お聞きします。この質問の背景には2つのことがあります。一つは、「自分から攻撃はしないが、人にやられたらやり返す」ことに関して議論したしたことがあります。その時出された意見の1つに感心しました。「その方法、卑怯です。人との関係は必ず人を傷つけます。悪いのは自分ではなく、最初に傷つけた相手ということになり、自分はいつもいい子になります」というもの。もう一つは、先日テレビで、能登で地震と水害にみまわれ、壊滅的な打撃を受けた店の人が、「(天災に)やられたら、やり返す」という気持ちで店を立て直す気になったと語っていました(見も知らないボランティアの人の助けを受けて、そのような意欲が沸いたということですが)。それを見て、「やられたら、やり返す」というのも、否定的な側面だけでなく、前を向くいい方法だなと感じました。

Chat GPTの回答―「やり返す」や「反撃する」という行為には、文脈や目的によって異なる側面があると思います。このテーマについて考えるとき、いくつかの観点が考えられます。1. 個人の対人関係における「やり返す」―「自分から攻撃はしないが、人からやられたらやり返す」という姿勢は、「公平さ」や「自分を守ること」を重視した考え方のように思えます。しかし、これに対して「それは卑怯だ」と指摘された方が問題にしたのは、自分が正当化されやすくなる仕組みや、人間関係の複雑さでしょう。ここでのポイントは、「やり返す」が相手を傷つけるための行動なのか、それとも自分を守るための行動なのか、ということです。もし「仕返し」や「復讐」を目的とするならば、負の連鎖を生む可能性がありますが、自分を守るために毅然と対応するのであれば、むしろ自己尊重の一環として肯定的に捉えられることもあります。2. 困難への挑戦としての「やり返す」―テレビで紹介された例のように、自然災害や不運に対して「やられたら、やり返す」という姿勢は、「逆境に負けない」というポジティブな意味合いを持っています。ここでは「やり返す」が「立ち上がる」「挑戦する」という能動的な行動として解釈されています。このような状況では、「やり返す」という言葉が生きるエネルギーや希望の象徴となっているといえるでしょう。この場合は、「相手を傷つける」行動ではなく、「自分を取り戻す」行動であるため、むしろ勇気を与えるものとして肯定されやすいです。3. 「やり返す」の影響を考える視点―「やり返す」という行為がその後の状況にどう影響を及ぼすかを考えるのも重要です。対人関係では、「やり返す」ことで緊張が増したり、関係が壊れたりするリスクがあります。一方で、逆境に対しては「やり返す」ことで新たな可能性や希望を生むことができるかもしれません。大切なのは、「やり返す」の動機と、それが目指す結果です。攻撃的な感情に基づくものならば、ネガティブな結果を生む可能性がありますが、前向きな意志や再建の気持ちに基づくものならば、大きな力となるでしょう。4. 文化や価値観の違いー日本の文化では、調和や我慢が美徳とされることが多い一方で、他の文化では自己主張や反撃が「正当な権利」として肯定される場合もあります。そのため、「やり返す」という行為に対する捉え方が、個人の価値観や文化的背景に大きく影響されることもあります。

Bing Chatの回答―「やり返す」や「反撃する」という行動には、状況や文脈によって異なる側面がありますね。ここでは2つの異なる視点について考えてみましょう。A 人間関係における「やり返す」―この場合、「やり返す」ことが必ずしも建設的とは言えないことが多いです。以下の理由があります: ①感情的反応: 一時の怒りや感情に基づいて行動することで、状況を悪化させる可能性があります。② 関係の破壊: 相手を傷つけることで、お互いの信頼関係を損ねる恐れがあります。③ 解決に至らない: 根本的な問題の解決には繋がらず、さらなる対立を招くことがあります。B 自然災害に対する「やり返す」―一方で、自然災害や困難な状況に対する「やり返す」姿勢は、前向きな意義を持つことがあります: ①復興の意志: 壊滅的な打撃を受けた状況でも、再建への強い意志が生まれることがあります。②支援を受けての成長: 他者の助けを受けることで、逆境に立ち向かう力が湧き、共同体の強化に繋がります。③積極的な行動: 挫折を乗り越え、新たな目標や夢に向かって行動することで、前向きな変化を生み出すことができます。結局のところ、「やり返す」という行動の価値は、その目的や結果によって大きく異なりますね。個別の状況や人々の意図を考慮することが重要です。

村上春樹の女性観や恋愛観について生成AIに聞く

質問―村上春樹のあるいは村上春樹の作品に書かれている女性観や恋愛観はどのようなものですか。それは現代の社会で一般的な女性観や恋愛観とは違いますか。村上春樹の女性観や恋愛観を考察した文献はありますか。あれば教えてください。

ChatGPTの回答―村上春樹の作品に描かれる女性観や恋愛観は、独特で多層的なものとしてしばしば議論されています。以下では、その特徴を整理し、現代社会との比較や参考文献について述べます。/村上春樹の女性観や恋愛観の特徴;①神秘性と不可解さー村上の作品に登場する女性キャラクターは、しばしば主人公にとって神秘的で理解しがたい存在として描かれます。彼女たちは主人公に影響を与えたり、変化を促すきっかけを提供したりします。例として、『ノルウェイの森』の直子や、『海辺のカフカ』の佐伯さんが挙げられます。②非現実的な要素―一部の女性キャラクターは超現実的な性質を持ち、夢や別世界の象徴として登場します。たとえば、『1Q84』の青豆や『ねじまき鳥クロニクル』の栗原クミコなどがそうです。③自己探求の媒介―女性は、主人公が自己を探求する旅の中で重要な役割を果たします。恋愛や女性との出会いは、自己のアイデンティティや孤独について考える契機として描かれることが多いです。④物語における恋愛の役割―村上作品の恋愛は、情熱的であるよりも内省的であり、しばしば喪失感や未解決の感情を伴います。これは、現代社会の「消費的な恋愛観」とは一線を画す、より個人的で哲学的なアプローチともいえます。/現代社会の女性観・恋愛観との違い ①現代のジェンダー平等への感受性―村上の作品は1970年代から始まり、多くの部分が当時の日本社会の文脈を反映しています。そのため、ジェンダー平等やフェミニズム的な視点から批判されることもあります。一部の読者からは、女性キャラクターが主人公の欲望や成長のための「ツール」として描かれているという指摘があります。②恋愛観の時間性と深みー現代の恋愛は、SNSやアプリを通じて瞬時につながるものとして描かれることが多い一方で、村上の恋愛描写は時間をかけた深い絆や喪失感を強調しています。この点で、村上の恋愛観はむしろ時代遅れと感じる人もいれば、逆に「普遍的な愛の本質」を描いていると評価する人もいます。/村上春樹の女性観・恋愛観を考察した文献-以下は村上春樹の女性観や恋愛観を分析した文献です:①『村上春樹とフェミニズム』―フェミニズムの観点から村上作品を分析した文献。女性キャラクターの役割や描かれ方に批判的な視点を持つ論文が多く収録されています。②『ハルキ・ムラカミとジェンダー:翻訳された日本文化』 (Fuminobu Murakami, Gender and Sexuality in Japanese Literature) 村上春樹の女性キャラクターを国際的な文脈で分析した英語の学術書。③『村上春樹をめぐる冒険』(中村邦生) 村上作品におけるテーマ、特に恋愛や孤独を中心に深く掘り下げた解説書。④『読む村上春樹:その魅力と批評』 村上文学の批評的視点を集めたエッセイ集。女性観や恋愛観に関する章も含まれています。⑤『Haruki Murakami and the Music of Words』 (Jay Rubin) 村上春樹の作品全般に関する包括的な分析。女性キャラクターの象徴的な役割にも言及されています。/ 村上春樹の女性観や恋愛観は多様で解釈の幅が広いですが、批判的な視点を含む分析も増えてきています。もし特定のテーマや作品についてさらに掘り下げたい場合は、ぜひお知らせください。

Bing Chatの回答―村上春樹の作品には、独特な女性観や恋愛観が描かれています。彼の作品の主人公「僕」は、しばしば女性との関係を通じて自己探求や成長を遂げます。例えば、『羊をめぐる冒険』では、主人公が「耳の女」との関係を通じて深いインスピレーションを得る場面が描かれています。/村上の女性観は、現代の社会で一般的なものとは異なると言われることもあります。彼の作品には、女性が主人公に対して積極的にアプローチする場面が多く、これがフェミニズム批評からの批判を受けることもあります。/村上春樹の女性観や恋愛観について考察した文献もいくつかあります。例えば、日本大学文理学部教授の武内佳代さんが「村上春樹作品の女性描写について」を批評しています。また、金子久美さんの論文「村上春樹研究」では、村上の作品における男女関係の役割やその背景にある深層心理について詳しく分析されています1。/これらの文献を参考にして、村上春樹の女性観や恋愛観についてさらに深く考察することができます。興味があれば、ぜひ読んでみてください。/1  https://core.ac.uk/download/pdf/144254345.pdf(金子久美)