庭に来る鳥

庭の餌箱にミカンなどの柑橘類を置いて置くと、メジロがよく食べに来て、それを見るのを楽しんでいた。しかし、ある時、うちによく来る地域猫が、メジロの番いを捕まえ、殺してから,餌箱に餌を置くのを止めていた。しかしこの頃その猫が鳥に興味を示さなくなったようなので、餌やりを再開した。柑橘類の他、パン、ご飯、芋、うどん、スバゲッテイ、バナナ、ぬかなど、人が食べ残した物を餌箱に置いて、それぞれの鳥が何を食べるのかを観察している。メジロやヒヨドリは柑橘類、スズメはご飯が好きなよう。

 庭で冬に見られる鳥の順位を、WEB( https://morigurashi.biz/winter-birds50/#toc9)で見ると、1.カラス、2. スズメ、3. メジロ、4. ヒヨドリ5. シジュウカラ 6.キジバト 7.ドバト 8.ムクドリ 9. ヤマガラ 10. ツグミとあるが、うちの庭で見られるのは、スズメ、メジロ、ヒヨドリ シジュウカラの4種くらいと少ない。大きなヒヨドリが来ると、メジロやスズメは追いやられてしまうので、ヒヨドリをつい追い払ってしまう。差別なく、餌を食べに来てくれる鳥は皆可愛いと思えればいいのだが。

風の便り77号

毎月1日に送って下さる辻秀幸氏の「風の便り」は、いつも色彩豊かな写真で彩られている。紙面の構成も工夫されていて感心する。辻氏は若い頃,市川市やその近隣の高校の図書館に勤め、その時広報誌を作成していた経験もここに生かされているのであろう。(以前にも書いたが)、辻氏には市川市の図書館で開催されていた「鑿壁読書会」に、私が大学生の頃参加させていただき、大変お世話になり、私の読書の幅が拡大した(そこで大江健三郎、阿部公房、倉橋由美子など小説をはじめて読んだ)。読書会の仲間といろいろな小説を共に読み、語り合った若い頃の思い出は、今でも鮮明の覚えている。それから半世紀以上の月日が経過しているのに、交流が続いているのがうれしい。その時のメンバーと私が現在も連絡を取れているのは、辻氏を除くと年賀状のやり取りがあるK氏のみである(辻氏とは。数年前に船橋で1度お会いした)。この「風の便りは」その時の数名にのみ送られているようだが、当時の他のメンバーが、このブログで見て、連絡をくれると嬉しい。私の一生の友と思ったTo氏とも20年近く前一度会ったきり連絡が途絶えている。彼が生きているかどうかもわからない。そのように年月は過ぎていく。

国際共通語としての英語

中央教育研究所 報告書NO 103『現代の教育課題を読み解く』の第2章で、加藤幸次・上智大学名誉教授は、 「自分英語(マイ・イングリッシュ)」の世界を創造する―国際共通語としての「日本英語」への扉を開く―」という興味深い論稿を書かれています。その要約を加藤教授は、下記のように書かれています。

<日本人は、いつまでイギリス英語とアメリカ英語を「スタンダード英語」として拝み立て続けるつもりでしょうか。「世界共通語としての英語」は、すでにとっくに、土着化し、多様化しているのです。母語を日本語として育ち、日常生活で母語しか使わない日本人いとって、「スタンダード英語」は遠すぎです。日本はFar Eastに位置します。Farなるがゆえに、スタンダード英語が崇められ、日本人は英語に対してビクビクし、オドオドしてしまっていないか。世界的な会議では、それぞれ“お国訛り”の英語が飛び交っているのです。日本人の耳はその“お国訛り”の英語が聞き分けられないだけのことです。そろそろ、日本人訛りの「自分英語」、日本の文化や思考を反映した「日本英語」づくりを始めるべきではないか。グローバル世界に向かって、堂々と、「自分英語」で自分の考えを発信していくべきでしょう。英語は二の次で、内容が第一です。>(https://chu-ken.jp/pdf/kanko103.pdf

日本の教育現場の英語教育はどのように行われているのでしょうか。その報告はいろいろなところで行われていると思いますが、ここでは、日本の学校現場に派遣されるALT(外国語指導助手)の国籍別のデータをみておきたいと思います。下記のように、欧米だけでなく、フイリッピン、南アフリカ、ジャマイカ、ベトナムなど、アフリカや中南米、アジア諸国からのALTの派遣も多くなっています。つまり、加藤教授の指摘する「世界共通語としての英語」が、日本の英語教育の(発音)指導者にも浸透していることがわかります。英米の「スタンダード英語」の発音を教えることは不必要と考えられている節(ふし)があります。

<JET外国語指導助手プログラム参加国―JETプログラムへの応募方法については、母国にある日本大使館のウェブサイトをご覧ください。日本大使館、総領事館については外務省のウェブサイトをご参照ください。英語圏出身の(ALT)はJET参加者の多数を占めています。また、非英語圏出身の外国語指導助手(ALT)もいます。令和6年度にJETプログラムは世界51か国から参加者を迎えています。         

   ALTの参加人数(総計5,373)の詳細はこちら(2024年7月1日現在)

アメリカ合衆国 2,885、イギリス   702、カナダ528、フィリピン共和国 334、オーストラリア連邦264、南アフリカ共和国 181、ニュージーランド170 アイルランド104、トリニダード・トバゴ共和国69、シンガポール共和国51、ジャマイカ45、ベトナム社会主義共和国28    ドイツ連邦共和国20、以下略 https://jetprogramme.org/ja/countries/?utm_source=chatgpt.com

求められるギフテッド教育の具体例

内外教育の「ひとこと」(2024年11月19日)に書いた短い文章(「資質とその教育 」)を、知り合いの大学教員が、学生に読ませその感想を書かせたものを送ってくれた。その教員の授業でのいい説明もあったのかと思うが、私の書いた趣旨をよく理解し、それへ感想をきちんと書いてくれたものが多く、感激した。

私が言いたかったことの1つには、宮城まり子の「ねむの木学園」の例も紹介し、「今日本では特別支援や多文化教育で、一般に欠けている能力を補う教育支援は盛んに行われるようになっている。しかし、逆の特異な才能や資質を伸ばすギフテッド教育は、あまり注目されない」がある。それを私は一般的に述べただけであるが、その必要性を裏付ける具体的な事例を書いてくれる学生までいて(下記に転載)感心した。

<私の弟は知的障害を伴う中度の自閉症の子なのですが、集団行動が不得意であることが原因でその子の持つ本当の才能に気付いてもらえず、私たち家族はいつも残念な気持ちでいます。この子は見たことがある鳥や植物は全て記憶しているし、電車の時刻表や種類も考えれないくらい多くのものが頭に入っています。それに人の悪口を言ったことがことのない優しい純粋な子どもです。日本の一斉教育は集団行動が出来なければ浮いてしまい、「出来ない子」として見られます。でもその「出来ない子」にも他に秀でたものがあることを、自分が教師になった時にちゃんと分かっている人でありたいと思いました。>

電子書籍の時代

内田樹氏の最近のブログ(tatsuru.com)に本の整理に関することが書かれていて、「本を送ってくれる人は電子書籍で献本してほしい」という趣旨のことを述べていて、衝撃を受けた。紙の本や報告書に関して、考え直さなければならない時代なのかもしれない(一部、転載する)

「書斎の床を埋め尽くす書物や書類を1時間ほどかけて片づけた。処分できたのは雑誌などごく一部で、大半の書物は横移動しただけである。それでも歩くためのスペースだけは確保できた。 これらの書物のうち自分で買ったものはたぶん3割くらい。あとは献本である。(中略)「これからはペーパーレスの時代だ」とさかんに言われた時期があった。でも、最近誰も言わなくなった。ペーパーレスは不可能だということに気づいたのだろうか。(中略) 電子書籍はいろいろと難点があるけれども、とにかく所蔵するのに空間を要さない点が卓越している。探す手間も要らない。検索すれば必ずみつかる。書斎にあるはずの書物ははしごを架けても床を這いまわってもみつからない。結局ネットで買うことになる。そしてそれが届いた頃に探していた本はみつかるのである。時間と手間の節約という点では圧倒的に電子書籍がすぐれている。でも、電子書籍で献本してくれる人はいない。誰かそういうサービスを始めてくれないだろうか。」(「ペーパーフルな時代」tatsuru.com内田樹の研究室2025-02-22 4)