吉田文/濱中淳子他『専門書を読む』(2025)を読む

早稲田大学の吉田文氏(教授)より、吉田文/濱中淳子/渡邉宏一編著『専門書を読む』(ミネルバ書房、2025)をお送り頂いた。そのお礼状を書くのが遅くなり、本日、下記のような内容の礼状を出した(一部抜粋)。大学教育研究のあり方に1つの新しい方法を提起している本として読ませていただいた。

ご高著『専門書を読む』をお送り頂きながら、御礼を申し上げるのが大変遅くなりました。まだ3つの章(序論、第2講、第10講)を読ませていただいただけですが、ひとまず、御礼を申し上げたいと思いました。/ 大学教育の改善に関して、いろいろ調査や提言がありますが、大学の授業の中身(カリキュラムと方法)に関する実証的な報告はほとんどない中で、本書は、その嚆矢になるものだと感じました。/ 大学教育は、以前は各自の「読書」が中心だったと思いますが、それが今どのようになっているのかが、吉田さんが書かれた序論からいろいろ学び、考えさせられました。/ 本書は、授業(特にゼミ)のテキストに何を選ぶのか、あるテキスト(専門書)を選んで、授業を展開すると、学生はそれをどのように読んで、どのような感想を持ち、授業の中ではどのような議論や学びが行われるのかが、詳細に記録されていて、大学の授業研究として、大変興味深いものと思いました。 /第2講のテキストはデユ―イの「民主主義と教育」と第10講のテキストの1つが志水宏吉『「つながり格差」が学力格差を生む』(2014)で、それぞれ、学生が普段は読まない、しかも読むのに苦労する、読んでも共感できないテキストでそれに苦闘するさまが、よく記録されていて、感心しました。そのような試みに、大学教育の効果があることもわかります。第2講義のデユ―イの「民主主義と教育」に、学生が格闘するさまや吉田さんの的確な指導の様子が詳細に描かれていて、このようにして学生は学んでいくものだと感心しました。私の授業(ゼミ)はこのように学生に苦労させることがなかったことを反省も込めて思い出しました*。第10講は、志水宏吉氏の初期の頃の著作をテキストにして、早稲田の学生の反発を買った記録は面白く読みました。これはテキストが適切ではなかった側面(格差の内容が育ちのよい早稲田の学生のハビトウスに合わない)は否めないとも感じました。/ 今、大学教育のあり方が、いろいろ議論されていますが、大昔の自分自身のことを、振り返ると、教授たちの著作から学ぶことは多くありましたが、講義内容に感銘を受けたり、授業でテキストの読み方を学んだり、論文の書き方を学んだ記憶は、全くないように思います。全て、自分の勝手な読書から学び、その著者を遠くから「師」と仰ぎ、学んでいったように思います。/ 日本の大学で読書から大学の授業での学びへという変遷がどのように起こったのか。また、現代における読書(専門書を含む)の学びは、どのようになっているのか、本書の他の章も読んでいろいろ考えてみたいと思います。ご著書に深く、御礼申しあげます。

*私の場合、その科目(例えば教育社会学ゼミ)に関係した内容で、自分が感銘を受け、学生にも共感が得られそうな論稿を教材にして、その分野の考え方のエッセンスを学んでもらおうとしていたと思います。昔の上智大学教育学科の3年生の私のゼミのテキストの記録が残っていましたので、添付させていただきます。

今年のバラ

5月というと、バラの季節でいろいろなところにバラの花を見に行きたくなる。しかし、今月末締め切りの原稿を2つかかえ、それが何となく気になり、近場で我慢している。

近所で、バラの綺麗な家があり、毎年楽しませてもらっている(1昨年5月13日、昨年5月8日)、今年は5月12日に訪れ、相変わらずの美しさに感激した。

KODAK Digital Still Camera

今年は、うちの庭でも6つほどバラが咲き(モッコウバラも含む)、特に数年前に八千代の京成バラ園で購入した小さなピンクの花を付ける木が2メートルの高さになり100以上の花を付けている。バラも花の命は短く、旬な美しさの時期は数日で終わる。その旬な時期を楽しみたい。

長野県の新緑を楽しむ

この頃近くの小旅行というと、静岡、栃木、群馬、新潟などが多く、長野に行くことが少なくなっていたように思う。この5月の連休の後、2泊3日で長野県のいくつかの地区を回り、長野県の雰囲気とその新緑を味わうことができた。県によりその家並みと木々の雰囲気が違うものだと感じる。長野県は、裕福な県というゆとりと教育や文化の県という香りを感じた。木々の感じも違う。

1泊目は、蓼科のグランドホテル滝の湯(https://yumeyado.jp/yado/1191?utm_source=ms&utm_medium=cpc&utm_campaign=S_GE&utm_term=syslmsxg00000142&msclkid=b5d9f7e547cf103d1b079fc098834c50)に宿泊した。そのホテルは今評判のホテルで、宿泊者の評価が高い。創業も古く、最近改装もして、建築、設備もいろいろ工夫されている。接客の細かいところへの配慮もよく行き届いいて、さすが評判のホテルと感じた。朝夕のバイキングの料理の種類も多く(能登支援の料理も多く用意されていたし、子ども用の低いバイキング料理もあった)、味も申し分なかった。温泉の湯もよく、また露天温泉から川や滝が見えて、周囲の自然も取り込んだ老舗ホテルであった(値段は、私達も泊まれる安さ)。2泊目は、諏訪湖畔のホテルに泊まり、翌朝、よく整備された諏訪湖畔を散歩した。

観光したところは、2日目に蓼科や霧ヶ峰の洗練された新緑群、坊主の車山、美ケ原の屋外のたくさん芸術的な彫刻群、そして3日目は、上高地のきれいな川と雪を被った3千メートル級の山々(奥穂高)の景観である。さすが、長野県の観光地と、その良さを満喫した3日間であった。

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風の便り79号

桜、チューリップの季節の後は、ツツジやサツキの季節。そしてバラの季節。5月になると、さまざまな花が一斉に咲きほこる。華やかな大型の花の陰で、目立つことなく、つつましやかに咲く花も多い。今回の辻秀幸氏の「風の便り」は、そのようなつつましい可憐な花にも目を向けている。辻氏らしい報告で、心が洗われる。

大学での小集団(グループ)研究の記録

昔書いたものは忘れていることが多いが、たまたま目にふれ、読み返すことがある。最初に勤めた武蔵大学は、「ゼミの武蔵」と言われ、1年生から各学年にゼミがあり、私も毎年各学年1つずつ計4つのゼミを担当していた。2年生の「青年期の社会学」というゼミでは、小集団のグループ研究をやったことが2度ほどある。その試みは今から30年以上年前のことである。その記録を武蔵大学の人文学部紀要に残したものを読む機会が、今回あった。その小集団のグループ研究という方法は、経済学部の岩田龍子教授のゼミのやり方を真似たものである。

その記録を読んで思ったことは、岩田教授が発案・実践し、私も真似してやったグループ研究は今教育界で話題になっている「探求学習」(注1)の方法に近いとのではないかと感じた。自分で研究テーマを探して、資料やデータを集め、考察して、まとめて発表するという方法である。ただ、私のやった方法は、個人でやる研究ではなく、小集団(グループ)でやる方法で、高校生ではなく、大学生がやったものである(注2)。

同じような方法で、大学生のグループ学習を、最近静岡大学名誉教授の馬居政幸氏が、静岡県立大学の「総合的な学習・探求の時間の指導法」の時間の授業で行いその記録を残している(注3)。あらかじめどのような文献を学生に読ませるか。グループ研究の成果の発表はどうするかなどは、私と馬居氏の授業では違っているが、学生に探求のテーマを話し合いで決めさせる、自分達で資料を探し読み込み、共同で成果をまとめるという方法は共通している。この大学での方法が、中高の総合的な学習の時間や探求学習のヒントになるのかどうかどうかわからないが、記録に残しておきたい。

注1 「探究学習とは、生徒が自ら問いを立て、情報を収集・分析し、解決策を考える学習活動です。具体的には、日常生活や社会の問題を探求し、主体的に学ぶことが重視されます。小・中学校では「総合的な学習の時間」に、高校では「総合的な探究の時間」に導入されており、グローバル化やデジタル化が進む中で、複雑な問題に取り組む力が求められています。探究学習は、単なる知識の習得ではなく、生涯にわたって学び続ける力を育むことを目的としています。」( 朝日新聞デジタル、https://www.asahi.com/sdgs/article/15272436

注2 武内清「社会学演習における小グループ研究の試みとその成果」(武蔵大学人文会雑誌20巻4号、1989年3月)(下記に一部転載)

注3;馬居政幸 「総合的な学習・探求の時間」が挑む公教育再構築の課題と可能性」『現代の教育課題を読み解く』(中央教育研究所 研究報告no 103、2023,12 収録)